inukame日記 

子供とわんこの記録 日記代わりのブログです。十年以上非定型顔面痛・歯痛で悩んでます。

「水トク!THE説得」 暗い内容です

昨日放送されていた番組です、食い入るように見ました。
問題のある息子を精神病院や保護施設に送る方法や
様子が詳しく放送されました。


問題のある息子が母親に暴言や暴力をふるったり
母親がびくびくしながら生活している様子に
私の子供時代が重なって、目が離せなくなりました。


放送されていた親子と同じように、兄は母を奴隷のように扱っていました。
物も全て取らせ、起こす時間、録画する番組、全てやらせ、
出来ないと番組の男のように血走った目で大声でどなりちらしていました。
もちろん夜起きていて昼寝ます。食べたいだけ食べ130キロ。
てんかんで発作が起きると硬直して130キロの下敷きになりました。
言われていた通り、舌を噛み切らないように泡を吹く口に何度も割ばしをいれました。


隣の家の屋根にタバコをポイ捨てし、数百本から数千本の吸い殻がお隣の
屋根に・・・大問題になり母は謝りっぱなしでした。兄は謝りません。
帰宅するとき、家まで50mのところにくるとステレオ最大音量の
音が聞こえてきます。近所の人達に「○○(私)ちゃんかわいそうに」と言われました。
恥ずかしい、怖い、逃げたい、誰か兄を捕まえに来てといつも思っていました。


私が目にあまる行動を注意すると包丁を持ってきて暴れました。
それをとめる母に
「おにいちゃんに意見なんてしちゃだめでしょ!」
と怒られました。


幸か不幸か、実際には体に包丁が刺さった事が無く、
今は「逃げなくて刺されておけばよかった」とすら思います。また、
「なぜ母は包丁を持った兄に追いかけられる私を助けてくれなかったのだろう」
と疑問が残ります。
行政に相談するのは見栄っ張りな母ゆえ無理だったのでしょうか
愚かな人なので対処する知能がなかったんだと思います。


でも小中学生の私にとってはその頃はそれが当たり前の日常になっていたんです。
私は追い掛け回されて当たり前、びくびく生活するのが当たりまえ。
もし刺されていたら兄は少年院にでもいって家族は平和に暮らせたかもしれません。
たとえ私が刺されて死んでいたとしてもそれはそれで兄が刑務所行きになって
私もその苦しみから解放されていたと思います。
それでも母の支配下にあった私は大人になると仕事の休みを取って
静岡の病院まで新幹線で兄の薬を取りにいっていました。
そんないい子を演じる必要なかったのに・・・


問題は「甘やかした母」と「兄のDNA」。染色体の配列。
同じ苦しみを味わっている子供いるかもしれません。
「逃げて早く自立する道を探す」事が一番だと教えてあげたい。
母の支配下にいた私のようになってはいけない。


とりとめも無く、暗い内容を書いてしまいましたが、
だからこそ、今、大変ながらも普通に暮らせる日々を
幸せに感じられるのかもしれません。


と、思うしかない。

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